ついでにと思い朝から出かけて、横須賀美術館の見学に行ってきました。
こちらからですと、東京から横須賀までそう遠くない感覚ですが、結構時間がかかりました。
またJRの横須賀駅が、とってもさびれた雰囲気で、なにやら市街地から取り残された
感じです。
駅から観音崎行きのバスに乗りました。ひんぱんに停車し利用するかたも多いのですが、
乗り降りする人たちのほとんどがお年寄りで、けっこうな足代わりになっているようです。
30分ほどで、目的地につきました。
京急ホテルが海沿いにあり、その先に美術館が見えてきました。
海に面して道路が走っており、その道路沿いに芝生広場がひろがっています。
その広場が緩やかな勾配でのぼっていく先に、ガラスで覆われた美術館が建っています。
左側に突き出したような形で、やはりガラスで覆われ、そのガラスのところどころに丸い
エッチング模様が付いているのが、谷口六郎美術館のようです。そこに沿ってアプローチ
があり、ゆっくりと登っていくと、ガラス屋根で細い鉄骨の円柱で支えられたキャノピーに
たどりつきます。アプローチもキャノピーも床はどうも、地先境界ブロックを敷き並べてあるようです。
鉄骨部分はすべて白でペイントされ、他は外壁から屋根まで使用されている材料はすべて
ガラスなので、とにかく明るく光かがやいています。
キャノピーは横に軸として貫いており、各施設の連絡通路になっています。
本館の入り口であり、レストランもここから入り、横のワークショップ室もここから出入りします。
ホールからは、廻り階段で屋上に出られますが、ペントハウスもガラス張り、屋上も
歩くところはグレーチングですが、その下の屋根面もすべてガラス張り、その徹底ぶりは
すごいの一言です。そのガラスはすべてシーリング処理で、これがはたしていつまで
耐久性があるのか、これを改修する時は、大変な費用がかかるんだろうな、と余分な心配を
してしまいました。
そんな心配など吹き飛ばすはど、素晴らしく、明快で、明るく、しっかりとこの建物
は建っていました。
2007年10 月29日 (月) カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
茅野市民館によって見ました。古谷さんの
設計です。古谷さんといえば、中里村の庁舎
のコンペなどで群馬にもおなじみですが、この施設もコンペで当選されたようです。
駅に隣接して建っており、その一番駅に近い部分に斜路に沿って図書館があり、
中庭を取り囲んでホールのロビー、奥に市民ギャラリー、ホール、その奥がレストランという
レイアウトです。
全体には一連の古谷さんの作品に見られる、大きなサッシ、白い壁面構成で軽快な
印象です。
駅と反対の道路側はプレコンの組み合わせで、曲面構成になっておりちょっと違った
印象になっています。
いずれにしても、駅と一体化していて市民館というのにふさわしいい利用をされている
ようでした。
2007年9 月17日 (月) カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
富岡駅近くに「ときわ荘」という旅館があります。昭和13年頃の竣工だそうですが、われわれJIAで以前調査した「櫛淵邸」と、貫前神社前の「社会教育館」の3つの建物共、時の建築家大江新太郎氏の率いる「國風建築塾」の設計といわれています。
建築後すでに70年以上を過ぎていても驚くほど、キチンと保存されています。またその設計のセンスのよさと、仕事の丁寧さ、当時の職人達が嬉々としてこの仕事に携わったことがひしひしと伝わってきます。こういった建築がこの群馬の、また富岡という地にあるということは、やはり貫前神社前に国威高揚のために県が中央の建築家に依頼して「社会教育館」を建て、その手腕を見込んで土地の有力者が自分達のために、住宅を依頼したということでしょうか。
今回われわれJIA群馬クラブのメンバー主体で設立されたNPO法人「VALO」が、富岡市より依頼を受け、現地調査をすることになりました。
20日雨の降る中、メンバー6名で内部の平面から、建具、立面などを実寸を測る作業を行いました。見ていくと、使っている材料や、大工の手わざ、建具職人の仕事などこんなことまでと、感心することしきりで、そんな仕事のあとをまるで宝探しのような気分で、時間が過ぎるのも忘れるほどでした。
いずれにしても、その建築のレベルは非常に高く、その価値を一般の人々にキチンと理解していただくこともわれわれの仕事だと、肝に銘じた一日でした。
2006年11 月21日 (火) カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
昨年起工式を行い、年明けに着工していた太田のK宮神社が竣工し、11月5日好天に恵まれた中竣工式が行われました。
紅白の幕やテントが張られ、いつもの竣工式風景です。
でもこの式が他と違ったのは、来賓と呼ばれる人が一人もいないこと。参加者はすべて関係者です。いつもの見慣れた役員さんたち、そして宮司さん、これを創るために浄財を寄付していただいた氏子の皆さんたちです。その人たち全員の思いが一つに感じました。
ですからこの場の雰囲気、新しい社殿を中心としたこの山全体を包む空気とでもいうのでしょうか、暖かく輝いていると感じました。私のいままでの経験の中でもこんな感じは始めてでした。
建設委員長のYさん、陰日なたになりこの神社建設の軸となったI工業会長のIさん他みんなこの建物の完成が本当にうれしくてしかたがない、苦労もあったがとにかくよかったと、心底感激していました。
人というものは、自分のためというより人のため、地域のためならば本当に力が出る、苦労を苦労と思わないで仕事が出来る。そして最後は皆で喜びあえる。
そんな中に自分がいることを本当に感謝したしだいです。
最後にこのあたりは八木節の本場で、保存会の皆さんの1級品の八木節を披露して頂きました。なかなか素晴らしいものでした。特に同席のI棟梁は特に感激したようすで、
「はじめて生で見させてもらったけれど、いやーいいですね。なんか国定忠治なんて聞くと、興奮してきちゃって。」と大喜びで、もう一度やって欲しいとアンコールまでしていました。
ここのY建設委員長は八木節保存会の会長も勤めて皆を指導しているとかで、最後はみずから礼服の上着をぬいで、太鼓のバチをもって音頭をとり、みごとなバチさばきで盛り上げていました。
お開きとなりましたが、個人の家でもなく、役所の建物でもない、みなが浄財を出し合って創り上げたこの社殿はほんとうに建築の原点ではないか、神様が住む家をみなが持っている力を出し合って創り上げる。まさに「結い」の本領なのかなと思います。
役員さんたちの笑顔に送られ帰路につきましたが、あたたかさを頂きこの仕事をしていて本当によかったと思った一日でした。
2006年11 月 5日 (日) カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
旧佐波郡東村のR寺の本堂並びに客殿が完成しました。縁あってこちらの住職の兄上にあたる、I先生のご自宅を設計させて頂いたのが5年前になるでしょうか。
そんな折りこちらのお寺の本堂の建て替のお話で、設計をということになりました。ちょうど埼玉で設計したお寺の建設中だったこともあり、話はとんとん拍子に進み、まず檀家の建設委員の皆さんにお会いしましたが、まず驚いたのがまとまりの良いことでした。
本堂、客殿の建設ともなるといかに檀家の数が多くとも、一軒当りの負担は相当なものになります。 それを取りまとめるのは大変だと思います。このところいくつかお寺、神社をお世話になりましたが、何処をとっても地域の人達の和というか、力をあわせていいものをつくるという意気込みはたいしたもので、頭が下がると同時にまだまだ日本も捨てたものではないと思うしだいです。
客殿は地元のT建設にお願いし、本堂は子持のD社寺建築に依頼しました。その後T建設さんには、埼玉のお寺の檀家のSさんの家を施工して頂き、D社寺建築さんには太田のK宮の施工もお願いするなど、縁が続いています。
そして今日10月21日、落慶法要の運びになりました。保育園もやっていることもあり、園児達の稚児行列から始まり、近隣の天台宗のお寺の住職の皆さん達や、檀家衆も大勢参列し盛大に行われました。
祝賀会に移り、I先生ご夫妻や住職ご゙夫妻、T建設社長、D宮棟梁、建設委員さんなど多くのみなさんと思い出話になり、つくづく縁とはありがたいものだなあと思ったしだいです。
2006年10 月21日 (土) カテゴリー: 建築 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)